弁護士法人アルマ福島県郡山市を拠点に活動しています。

福島県郡山市を拠点に活動する、郡山を中心として、仙台・福島・山形・いわき・会津若松・白河エリアを対象とした弁護士事務所です。この地域の法律相談は幅広く当法人にお任せください。

  1. 事務所概要

    弁護士法人アルマについて

  2. 私たちの想い

    弁護士の仕事とは?

  3. 所属弁護士紹介 – 三瓶正

    三瓶正 プロフィール

  4. 所属弁護士紹介 – 花田 慎治

    花田 慎治 プロフィール

  5. 関連Webサイト

    福島での法律相談をもっと身近に

  1. 30代男性:信号のない交差点で出会い頭の事故による頚部捻挫で450万円を回収した事例

  2. 30代男性:助手席同乗中に追突を受けた事故による頚部捻挫、腰部捻挫で約290万円を回収した事例

  3. 50代男性:交差点における直進車と右折車の衝突事故による頚椎捻挫で290万円を回収した事例

  4. 60代女性:信号待ちで停車中、後方から追突を受けた事故による難聴に伴う耳鳴で410万円を回収した事例

  5. 50代女性:赤信号で停止中に、後ろから加害車両に追突された事故による頚椎捻挫等で約325万円を回収した事例

  6. 40代男性:赤信号で停車中に、後ろから追突された事故による頚椎捻挫等で約285万円を回収した事例

  7. 30代女性:道路の右側を進行中、加害車両が被害車両の右後ろに衝突した事故による頚椎捻挫、腰椎捻挫で約290万円を回収した事例

  8. 50代女性:右折のため停車していたところに追突を受けた事故による頚部捻挫、腰部捻挫で約235万円を回収した事例

  9. 20代男性:徒歩で横断歩道横断中に交差点を左折した車両が衝突事故による頚椎捻挫で270万円を回収した事例

  10. 50代女性:右折のため停車していたところに追突を受けた事故による頚部捻挫、腰部捻挫で280万円を回収した事例

  11. 20代男性:出会い頭に衝突した事故による頚椎捻挫で約300万円を回収した事例

  12. 50代男性:停車していたところ、ノーブレーキの車が衝突してきた事故による中心性頚髄損傷で約900万円を回収した事例

  1. 過払い金でお困りの方に、弁護士ができること

  1. 60代男性:労働災害により約5000万円を回収した事例

所属弁護士紹介 – 三瓶正

弁護士 三瓶正

【 略歴 】
石川郡石川町生まれ
福島県立安積高等学校卒業(107期)
上智大学外国語学部英語学科卒業

平成16年    司法試験合格
平成18年    福島県弁護士会に弁護士登録
平成21年4月 郡山タワー法律事務所開設
平成25年5月 法人化して弁護士法人アルマ代表弁護士に就任

【 主な肩書・経歴 】
郡山市開発審査会委員 / 社会保険労務士 / 元福島県弁護士会副会長 / 元福島県弁護士会郡山支部長 / 元福島県弁護士会理事 / 元東北弁護士会連合会理事 / 元郡山市医療審査会委員 / 元福島県感染症審査協議会委員(県中) / 元須賀川信用金庫非常勤監事

福島県で弁護士をお探しの方へ
簡単な自己紹介をさせてください

私は、昭和50年福島県石川郡石川町に生まれました。沢田地区という今はリンゴなどの果樹がさかんな地域です。

実家は農業をしていました。野菜全般を作っていました。
小さい頃は、家の中で遊んでいると怒られるという状況だったので、いつも外で真っ暗になるまで遊んでいた記憶があります。

小学校に通う道も春と夏と秋と冬でそれぞれいろんな表情があったことを今から考えると懐かしく思います。

春は、土手にツクシが生えていたり、土の黒と緑のコントラストがとてもきれいでした。

夏は、プールに通うのがとても楽しみでした。夏休みには、朝早く、父が市場に野菜を出荷するのについて行くのが好きでした。まだ、みんな寝ている時間に市場では電気がまぶしいほど明るくて、みんな仕事をしている雰囲気が好きでした(本当は帰りに唯一開いているセブンイレブンでお菓子を買ってもらえるという楽しみがありました)。

秋になると学校行事でイナゴ取りがあったり、家に帰ってから友人と栗拾い(山に自生している小さい栗です)に行ったり、沢ガニをとったりしていました。秋は、稲刈りの季節でもあり、田んぼの中限定で、コンバインの操作をさせてもらうことができたので、それが楽しみで学校から飛んで帰っていました。ちょうど、小学校4年生の頃です。

冬に大雪が降ると、両親はビニールハウスが雪の重みでつぶれるのを防ぐために、深夜に何度も雪落としに行くのを寝室から眺めていたのを覚えています。仕事って大変な事なのだなーと、小さいながらに考えていました。私の仕事に対する姿勢は、小学校の頃にはすでに固まっていたのかもしれません。

中学校を卒業すると、郡山市の高校に通い、大学は東京に行きました。

大学は、外国語学部英語学科というところに入りましたが、はいったとたん、一番びっくりしたのが、能力別のクラス分けで下から二番目のクラス(AからHまでのランク別でGクラス)になったことです。

世の中には当然すごい人がたくさんいます。私もそんなことは知っていましたが、得意だと思っていた英語でビリに近い実力でかつ、本当の実力はクラス分けとかでは計ることのできないレベルの差があることに気がついて、金槌で後ろから頭を殴られるような大きなカルチャーショックを感じました。そう言う優秀な人にもまれたことも今となっては良い思い出です。

そのころ、ちょっとだけとった憲法の授業がとても新鮮で面白かったことを覚えています。しかも、法律って、大学から学ぶのが普通なので、それまでの実力差もあまりないんですよね。と思いながら、法律の世界に足を少しずつ踏み入れることになりました(どの世界にも優秀な人がいるので、結局、自分はビリの方なんですが)。

結果的に、何回も何回も試験に落ちてやっと合格したのですが、弁護士の仕事は自分には向いているように思います。いろんな分野の事に触れることができるし、人から感謝の言葉をいただけることも本当にうれしいです。もちろん、難しい事件もあり、依頼者のために結果的にならないこともあり、心を痛めることもあります。

それでも、この仕事について良かったと考えていますし、もっともっと精進していきたいと考えております。

弁護士 三瓶正